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ISBN:4103534133 単行本 村上 春樹 新潮社 2002/09/12 ¥1,680
まあなんつーか今更感溢れる本だが読み終えたので感想程度に。
形式:1章交互にカフカパートとナカタパートが綴られる。交互に章が入れ替わるのは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』でもとられていた形式でもあるが、そうすべき理由は何かあったのだろうか? (『少年カフカ』等で語られているかどうかは知らない。そこまで調べてないからね)
交互に入れ替わる形式というのは現代においてそれほど斬新でも奇抜でもなく(テレビドラマ的──毎週同時進行的に放送されるドラマをそれぞれ独立したものとして楽しむことがほとんどの人にとって可能なことであろう)、とりたてて語られるべき何かはそこにはないのだろうか?
また、三人称視点の語り手についても徹底されていない感があり、読んでいてしばしば違和感を覚えることがあった。そこについて、何故そう語ることが可能かを論ずることもできそうとは思えるが……。
構造:生と死・記憶と忘却・父性と母性等様々な概念の対立を軸にする。ただ、対立項的に語られながら、その対立は解消されず、寧ろ投げっぱなしで終わる感すらあった。それは好意的に見れば問題提起とも言えるのだろうが、現代において例えばエディプス・コンプレックスがどのような問題提起になりうるのだろうか? エディプス・コンプレックスを乗り越える何かや、現代におけるそれの新たな意味を提示せねばいけないのではないか? それともそれは為されていて読み落としているだけなのだろうか?
詳細:文学・音楽・映画・哲学等が随所に散りばめられており、それらは物語についての何らかの意味を担われているように見える(実際そうかどうかは確かではない)。「森」へと入っていくための入口として考えれば非常にいろんな人に優しいとも言えるのだろう。
でも、レイディオヘッドとは言わないと思います。
まあなんつーか今更感溢れる本だが読み終えたので感想程度に。
形式:1章交互にカフカパートとナカタパートが綴られる。交互に章が入れ替わるのは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』でもとられていた形式でもあるが、そうすべき理由は何かあったのだろうか? (『少年カフカ』等で語られているかどうかは知らない。そこまで調べてないからね)
交互に入れ替わる形式というのは現代においてそれほど斬新でも奇抜でもなく(テレビドラマ的──毎週同時進行的に放送されるドラマをそれぞれ独立したものとして楽しむことがほとんどの人にとって可能なことであろう)、とりたてて語られるべき何かはそこにはないのだろうか?
また、三人称視点の語り手についても徹底されていない感があり、読んでいてしばしば違和感を覚えることがあった。そこについて、何故そう語ることが可能かを論ずることもできそうとは思えるが……。
構造:生と死・記憶と忘却・父性と母性等様々な概念の対立を軸にする。ただ、対立項的に語られながら、その対立は解消されず、寧ろ投げっぱなしで終わる感すらあった。それは好意的に見れば問題提起とも言えるのだろうが、現代において例えばエディプス・コンプレックスがどのような問題提起になりうるのだろうか? エディプス・コンプレックスを乗り越える何かや、現代におけるそれの新たな意味を提示せねばいけないのではないか? それともそれは為されていて読み落としているだけなのだろうか?
詳細:文学・音楽・映画・哲学等が随所に散りばめられており、それらは物語についての何らかの意味を担われているように見える(実際そうかどうかは確かではない)。「森」へと入っていくための入口として考えれば非常にいろんな人に優しいとも言えるのだろう。
でも、レイディオヘッドとは言わないと思います。
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